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あ~素敵なお父様 ・夫の父の性(セックス)テクニックに腑抜けになった嫁 春原未来

[レビュー]

2011年も終わりに差しかかり、『マニアック(品番HTM)』というレーベルがスタートしていきなり4本リリースされた。ファンにとっては非常に印象深い出来事で、一体全体なにぬねの?という感じではあったのだが、コンセプトが一目瞭然でこれまでになかったヘンリー塚本監督作品の新しい楽しみが詰まっていた。当時、監督の年齢は68才であったと思う。古稀を前にしてこの旺盛な制作意欲!

どのように新しいのかと言うと、まず長編であるということ、次に構図に凝っているということ、そしてセックスが長廻しであること、の3点である。時折、思い出したようにしか出現しなかった長編が立て続けに出てくる。感謝感激雨アララ~状態だ。w

2016年あたりからヘンリー塚本作品を弟子がリメイクするという作品(「ヘンリー塚本原作」作品)が多く制作された。習作というか、師の作品をなぞる作品はヘンリー塚本監修の竜二ブランドとしてそれまでも普通に作られてきたので、ファン的には今更感が漂う話なのだが、タイトルに「ヘンリー塚本」という名が冠されれば売れ行きが違う。つまりより多くの人の人の目に触れる。その緊張感と気合は当然違うだろう。

さて、2017年に制作された『ヘンリー塚本原作 嫁・略奪-嫁と義父との肉欲の1825日』は泉竜二監督によってリメイクされた作品である。元作品は2013年の『あ~素敵なお父様 ・夫の父の性(セックス)テクニックに腑抜けになった嫁』で「春原未来」が演じたのだが、「江上しほ」を起用したリメイク版は一連の「ヘンリー塚本原作」作品の中でも白眉の一本という事ができる。

ヘンリー塚本作品における悲恋物は胸を締め付けられるような切なさがある。非道徳だろうが鬼畜だろうが人の営みである以上、共感できるものとして理屈抜きの感動が生まれるのは道理と言えば道理ではあるのだが、これを作品として描き切れるかという事になるとまた別問題ではあるだろう。

ヘンリー塚本作品は哀しいのである。生は無常で、淫欲は恒常で、性欲は刹那的で、総て宿って”人生”だ。愛欲淫欲に塗れたエゲツない物語の先に哀しさが見える。それをセックスを通して描くことができれば「ヘンリー塚本である」と私は思う。

それはたとえ師の優れた脚本を用い、魅力的な女優を起用しても、元作品通りに撮っただけでは決して生まれない”感動”であるが、この一度見たはずの物語にはやはり”感動”が存在する。5年間の愛欲生活の終わりに、義父が呟く「まんこ。まんこ」という言葉が哀しいのだ。嫁が濡れたまんこをおっ広げて「まんこ。まんこ」と囁く姿が哀しいのだ。そのように書けばバカらしい話なのだが本当だから仕方ないw。

さて元作品とリメイク作を比較してみようと思う。収録時間は前者が86分に対して後者は97分。前者における夫のアリエナイ配役と年齢設定は適切化されているw。台詞回しはほぼ同じように進行し、嫁の寝間着や義父役である「小沢とおる」の服装や眼鏡装着まで元作品をなぞっている。但し、嫁を犯す近親者が前者は義兄であったのに対し、後者は義理の祖父になっている部分が違っている。

元作品の”肉体関係があった義兄が上京し妹を犯す”というストーリーラインはヘンリー塚本作品の定番であり、それが作品中に挿入されたと思われるが、ある意味突拍子もない展開であり、祖父に置き換えたことは作品のまとまりを考えた場合、適切であろうと思う。

とかく泉竜二監督というのは丁寧で、例えば被害者の女の手の動き、鏡を覗き込む嫁の仕草など作品における細部までの気遣いが見られる。もちろん下敷きがあり、それに肉付けをしていく作業がリメイクというものではあるのだが、この場合、監督の性質の差が強く出ている部分ではあろう。

大きく感触が違うのは、泉竜二監督というのは接写とローアングルからの撮影手法を得意としていて、どちらかと言えば引きで撮る傾向にあるヘンリー塚本監督作品より悪く言えば忙しいし、よく言えばメリハリがある。但し、表情に一瞬現れる哀愁を捉えていくカメラワークはまさしく”師匠譲り”だ。

同じ物語を並べてみたらどちらも面白いということはそうそうない。私は「春原未来」の顔が好きだが、「江上しほ」のむちむち巨乳の肉体も捨てがたい。(何か最後にどうでもいい本音が紛れ込んでしまったようだww)

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